ラジコン歴

最初に始めたのは昭和48年ごろ。指導していただく人もなく、ラジコン技術が先生でした。
当時は当然ARFの機体はなく、すべてバルサのキットからの組み立てが主流だったと記憶しております。
十数機は作ったと思いますが、如何せん独学のために、操縦がうまくいかず、当時は土器川の河川敷だったのですが、飛ばしに行っては落とし、又落としの連続。最後に残ったのは、当時出始めていた、胴体がFRP製のゼロ戦と、もう一機、機名は不明・・・・計二機のみ〔飛ばさなかったので、残ったのです。〕これも、そのうちに部屋に置くのも邪魔になり、友人の子供にプレゼントすることに・・・・・そうしてラジコンを止める事になりました。
それも毎週の作成のために、バルサのペーパー粕で少々喘息気味になったのが、ラジコンを止める一因でもありましたが・・・・うまく飛ばせなかったことと、あわせて。

これらは、当時使っていたエンジンの一部と、送信機の一部。家捜しをしてみたが、受信機は見つかりませんでした。


 
当時使っていたプロポ
その当時、使っていたプロポ。
AM/FMがあったように思う。
 
 
4サイクルエンジン 26-4C
 
2サイクルエンジン 15-2C 25-2C
 
当時、出始めた4サイクルエンジン 26-4C
ただ、ブレークインだけで終わったと記憶している。興味あるのは、タペットが後方にむき出しになっている。
 
こちらの2サイクルエンジンを愛用していた。
15-2C 25-2C

それから、ほぼ三十年。土器川近くを車で通りかかり、ラジコンの飛行機が飛んでいるのを見て、ふらふらと飛ばしているところに車を向けました。
そこには十人くらいの人が飛ばしておられ、和気藹々とした会話と飛行テクニックの研磨話のコンビネーションが、横で聞かせてもらっている私にも楽しいものでした。
なんと言っても着陸時フラップを下げ少し機首を上げての姿は、実機の飛行を彷彿とさせ、芸術的でハイテク技術の結晶とも思えたものです。
それからというもの暇なときには、結構足を向けるようになり、そのうち石井会員からお誘いの話をいただくことになりました。それが運のつきといいますか、下記のとおりとなり、趣味が、又ひとつ増えることに・・・・・・。


 
FUTABA PCM 1024 Z 52バンド
今使っているプロポ・・・機能が沢山付いているものの、恥ずかしながら、十分に使いこなせていない。
FUTABA PCM 1024 Z 52バンド
     
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